クソのような都知事選挙
先週行われた都知事選の結果はヒドイものだった。現職の票数に対し他候補全員まとまっても及ばず、次点の宇都宮氏との差はトリプルスコア以上である。無党派層のほとんども野党候補には入れなかった。何故か?
野党候補に魅力がなかった、というより頭のおかしいインディーズ候補が混じり、真面目な有権者を白けさせたこともある。現職の的確に見える毎度の情報発信に他候補がまるで及ばなかったこともある。特にコロナ禍で大変な時に現職批判ばかりで独自で有効なコロナ対策を示せなかった他候補の力量不足と薄っぺらさが際立ってしまったことも大きな要因だったのではないか。
選挙通の落とし穴でもあるが、時代は常に変わっているので古びた選挙手法が内部の仲良しグループにウケても外部の一般にはウケなくなっているものだ。有権者を馬鹿にしない方がいい。候補者カーの行く先々で何処かで聞いたような陳腐なメッセージのプラカードを掲げ、お揃いの掛け声で合唱しても無意味であり、胡散臭いだけである。一般には宗教団体としか見えない。だから広がらないのである。
好対照だったのが昨日開票だった鹿児島県知事選挙である。自民・公明の推した現職の三反園や前職の古手が、明確な政策を掲げた行政経験のある新人に破れてしまった。私は選挙の現場を見た訳ではないが、現地に住む知人の話では久しぶりに熱のこもった選挙戦だったそうである。
今後の進むべき選挙の在り方を暗示しているのではないか。どんなに正しいと思っても、内輪だけにしか通用しないメッセージや手法、段取り、他候補批判、キワモノ出しなどは止めた方がいい。説得力のあるオリジナルな政策を地道に訴えることが有権者の共感を呼び、信頼されることにつながると思う。これがクソみたいな都知事選挙を身近に見てきた私の教訓でもある。