ロシアのウクライナ侵攻後、日本もいつ同じ目に遭うか分からないので、核兵器の共同使用や敵基地攻撃力の体制つくりなど勇ましい意見が飛び交うようになった。平和憲法を守っているだけでは領土拡張を目指す野蛮な周辺国に対抗できず、ロシアや中国、北朝鮮が日本に攻めてきたら米軍は助けてくれるか分からないのだから、高性能かつ強力な攻撃力を備えた軍備増強を声高に主張する連中が増えているのは事実である。が、ウクライナの二の舞を避けるべきだという彼らの主張には致命的な問題がある。逆に侵略を誘発しかねないリスクがあるからだ。憲法記念日の5月3日に開かれた改憲派の集会でもジャーナリストの櫻井よしこ氏は、ロシアのウクライナ侵攻に触れながら、日本の憲法改正や国防力強化の必要性を訴えていたが、彼らの主張の底流にあるのは国家間の戦争ごっこを本気でやろうとしていることだ。
いわば中、ロ、北などと対等に戦える軍事力を備えることによって侵略されない保証が得られるかも知れないというのは戦争ボケした錯覚ではないのか。むしろ日本の国防力増強は彼の国にしてみれば軍事バランスが崩れるこ とを恐れて、日本に対する先制攻撃開始の口実を与えてしまいかねない。だから日本が核共有や独自の核武装などを始めれば、その核で狙われた国は日本の自衛隊基地や原発などを含めた核関連施設に対し自衛的なミサイル攻撃を始めてしまうかも知れない。周辺国との関係できな臭くなってきた時に例えば日本が「反撃能力」として敵基地や敵司令部にミサイルを撃ち込んだらどうなるか?報復攻撃として倍返しどころか、生物化学兵器や核攻撃にさらされることは間違えない。一見憂国の戦士気取りの勇ましい言がとんでもない悲劇を招いてしまう浅はかさに通底していることに早く気付くべきだ。先の悲惨な戦争で日本国民は何を学んできたのか?
憲法9条によって「軍事力を先に行使することはない」と宣言することの方が少なくとも「日本からの侵略を予防する」ためと称して他国が日本を侵略してくる可能性を軽減出来るのではなかろうか。弱腰と写ろうが憲法9条を前面に押し出すことによって相手国に日本を攻める根拠や口実を与えずに済み、お互い無駄な軍事力を持ち続ける悪弊を断ち切れるので余程安上がりな国家戦略ではないか。よく憲法9条に固執していても「侵略されたら奴隷になるだけなのか?」という好戦論者が好き好んで放つ決め台詞があるが、9条という先制攻撃しないことを宣言する踏み絵のようなものがあった方が侵略に巻き込まれる確率は少ないと認識すべきではないか。各種世論調査でも「専守防衛」や「非核三原則」を「今後も維持すべき」とする意見が過半数を超え、政治課題の優先度では「福祉・医療」や「景気・雇用」が30%近くあるのに対し「憲法問題」は2%でしかない。憲法を変えてまで日本が何をしようとしているのか怪しいとしかいえないのだ。
もちろん理不尽な侵略には憲法9条があろうがなかろうが予算規模で世界第9位の軍事力を持つ自衛隊が戦い、押し返すであろう。押し返す防衛力が現状ないわけではないのに、なぜ核兵器や敵基地能力が必要なのであろうか?防衛力だけではなく攻め込む能力を保持することによってでないと相手国の侵略を思いとどまらせられないのかどうか、危険なカケである。反戦論者を「平和ボケ」と揶揄する連中ほど「戦争ボケ」しているのではないか。お互いの信頼や言葉の力を過小評価する一方でプーチンや金正恩のような極端に軍事力を過信している者にこそ憲法9条というタガが必要である。同条は攻められる側には不要でも攻めようとする側には必要であるからだ。紛争解決の手段を強力な武器による脅しでしか対処できない連中にこそ日本の憲法9条を進呈したいものだ。武力を過信する「戦争ボケ」同士によるいわば終わりのない残虐行為こそが人類の希望や命を蝕んで犠牲者が増えていく原因なのだからもういい加減にしてほしい。
そもそも日本はミサイル1発でも甚大な放射能被害が拡散しかねない原発を50基以上抱えている。そんなアキレス腱を抱える我が国にあって戦争すること自体あり得ないではないか。軍事力を信仰して止まない好戦論者が日本を戦争をできる普通の国にしたいのならまず原発をなくしてからにしてほしい。