見劣りする一方の国葬と弔問外交

過去の安倍政権に対する忌避的感情から今回の安部国葬に対する国民からの反感が喧しい。最長記録更新の総理大臣とはいえ、目立った実績も乏しく統一教会の広告塔に過ぎなかった安部氏の国葬に税金の無駄遣いは許されないとか法的根拠がないなどの反対論が集まっている。これに対して毎度上っ面だけ丁寧な説明に終始する岸田総理は、外国要人が集まる国葬になれば世界中の元首クラスの要人が集まる弔問外交を行うことが出来るのではないかと豪語していた。

 

しかし海外の参列予定者はハリス米国副大統領とトルドーカナダ首相が唯一の大物というショボいメンツだから弔問外交とは言い難い。武道館に6,400人も集められなくなったのは当てにしていた国内の首長や国会議員にも欠席者がいるからで、急遽現役自衛隊員1,000人をかき集めて人数合わせしたり、落選した元国会議員にまで招待状を送ったりしているという始末だ。

岸田総理は安部国葬による弔問外交が風前の灯火となったからなのかエリザベス女王の国葬に駆け付けてこの事態の埋め合わせを図ろうとしたが、肝心の招待状が来なかった。女王の国葬には、アメリカのバイデン大統領、ドイツのシュタインマイヤー大統領、イタリアのマッタレッラ大統領、ブラジルのボルソナロ大統領らの参列があり、英国のトラス新首相はもちろん各国首脳と接触を図ることができる絶好の『弔問外交』がそこにはあった。が、彼は出席出来ない。だからといって翌週に無理くり設定した安部国葬での弔問外交はさすがに見劣りしてしまう。上記のようなショボいメンツ相手では何の成果も演出出来ない

 

安部国葬を執り行う最大の理由が崩れ去った。当初こじつけていた「民主主義に対する挑戦」という根拠をいうなら、今や国民の過半数が国葬に反対する民意を無視してまで強行することこそ民主主義に対する暴挙ではないのか。今こそ岸田総理にこの問題を丁寧に説明して欲しいものである。残念ながら彼の乱発する「丁寧に説明する」というのは、「丁寧な言葉で高ぶることなく、何を問われても同じ内容を繰り返す」ということになってしまった。

早くもネット上では、安倍元首相の国葬について開催意義を疑問視する声が多くあがっている。 《エリザベス女王が崩御され、そちらの国葬の方に世界中の要人が参加する事に成って唯一の大義名分であった弔問外交も有名無実化してしまった》 《「弔問外交」したいなら安倍の国葬やめて、みんなでエリザベス女王の国葬に参列したほうが国家元首級が集まるんじゃない?》 《現役首脳の参列が少ない安倍氏国葬が見劣りするのは必至、内閣自民党葬にしとけばよかったのに》

などなど言い得て妙な声が溢れ返っている。