2023年の新年にあたって

新しい年を今年も迎えた。ただ新しいと思っているのは正月5日位までで、すぐに年末31日からの連続した時の流れに刻まれてしまう。すがすがしい気持ちもすぐに吹っ飛んでいく。

新年だからって何かが新しくなるのではないのだから、新しい何かを成すためには過去を振り返り、その過去の問題点を拒絶し、清算し、別の新機軸を打ち立てるようなしんどい作業を始めなければならない。もちろん拒否すべき過去の利権や古い規則に縛られていた関係者からの罵倒や批判に耐えなければならない。彼らは必死だから時には暴力も振るわれる。

改革者を自認していた多くのキラ星政治家が次第に色あせていくのも上記のような抵抗勢力からの揶揄に耐えきれなくなってくるからだろう。「ミイラ取りがミイラ~」ではないが、いとも簡単にあっち側に転向してしまう尻軽政治家が少なくない。だから政治家の大半は弁舌やジェスチャーは上手いが、結局何の為に政治家でいるのか自他ともに分からなくなるんだろうし、ただ当選回数を増やしていくことだけがステイタスとして認めざるを得なくなっている悲しい現実がある。

「職業政治家」若しくは「組織内候補者」なら当選に対する反対給付として支援者への便宜供与という仕事が控えているので分かりやすい。が、地方政治家に多い「家業政治家」や目立ちたいだけの「生き甲斐政治家」となると毎回の選挙では地元関係者のお神輿に乗り、当選したら議会では役人の書いた原稿を読み、事前に打ち合わせ通りの採決に加わるだけで任期が過ぎていくだけだから、役所にとっては扱いやすいが一般の多くの住民にとっては害悪であり無駄な生き物である。

だから多くの有権者にとって地元議会なぞに関心がなくなり投票にも行かなくなる。そうした低投票率がさらに彼らをのさばらせ、あろうことか様々な宗教団体系候補者が信者を動員して確実に読める票数を獲得してきた経緯がある。因みに4年前の江戸川区議会議員選挙の投票率は43%前後の低投票率であった。平成3年頃までは50%は超えていたのに近年は下がる一方である。と同時に業界や組合、宗教に関与していない候補者の当選確率は極めて低い現状がある。もはや議会の多数派は住民代表ではなく、利権団体や業界組織、組合組織、宗教団体等で構成され、住民の意思や要求とは真逆の連中に支配されている。

新年にあたって、積もり積もったこうした過去の遺物やトラウマをひっくり返し、新しい政治の機軸を住民と共に作るべく今年こそ既成・寄生政治家を地獄の淵に追い込んでいきたいものである。