欲しいのは武器ばかり?

ゼレンスキーが世界に向け「市民を守る」ためと称し多額の武器購入資金や重火器を求めている。しかし昨日今日導入したばかりの兵器で圧倒的な軍事大国ロシアを押し返せるだろうか。せいぜい時間稼ぎをする程度のもので、ウクライナ市民の死傷者は一層増えるだけだろう。ロシア国内の軍事基地は攻撃されていないのだから。
ウクライナ軍の武装化が格段に進めば進むほどロシア軍はそれを上回る武器を投入してくるので戦争は終わらない。双方破滅的な結果が待ち受けているので、ロシアは場合によっては炭疽菌などの化学兵器や小型核兵器の使用も検討するだろう。ロシアのラヴロフ外相は先週、和平協定が結ばれる見通しや核戦争の回避に尽力していると述べる一方「核戦争のリスクを人為的に高めたくないが、危険は深刻かつ現実であり、過小評価してはならない」と一歩踏み込んだ態度を示した。戦場の泥沼化を避けるための打開策として核兵器の使用と停戦交渉の両睨み作戦に入ったといえよう。危ういカケである。
しかし西側からの軍事支援と経済協力に味をしめたゼレンスキーはロシアの意図や戦況を過小評価し、軍事力一辺倒の路線に陥った。まるで戦前日本の一億総火の玉の掛け声の下の玉砕作戦を思い起こしてしまう。東京大空襲や広島・長崎への原爆投下があってもなお本土決戦に固執して強がり主戦論を引っ込めなかった連中を想起してしまう。
ところでウクライナの戦場の拡大は武器商人が次々と投入する新兵器のお披露目合戦と化し、次世代の先端軍事技術の展示会場がイラクやアフガニスタン等の中東から中部ヨーロッパに移行されてきたようなものだ。ウクライナ軍人がアメリカの大手軍用兵器製造会社の軍事顧問から急遽ノウハウを教わり、東南部地域に展開するロシア軍をどこまで押し返せるのか、ロシアの大量破壊兵器で逆に殲滅させられてしまうのか、或いは第三次世界大戦に突入してしまうのか、結末は今夏までには分かる。
だが極論すれば、市井の住民にとって政権が西側であろうと東側であろうと安全と平和な暮らしが担保されればどちらでもいいのであり、「自由の錦」のため侵略者と戦って犬死にするのは御免被りたいのではないか。長期的には侵略者の隙を突いて逆襲もしくは海外逃亡することだって不可能ではないので命は大事にしたいものだ。侵略されて現政権が倒れたり選挙で敗北したりして自分と意のそぐわない傀儡政権や独裁政権が誕生してしまうことは長い人生の節目節目で起こり得ることであり、何もその都度、自死に近い破滅的な戦いにまで挑まなくてもいいのではないか。